“先生”体験から考える
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想定を超えて走り出す子供たち
たいていの子は切り抜きが好きだ。写真と見出しを思い思いに台紙に置いていく。「うそっこだから真っ二つに切っていいよ」と、自由度を最優先して担任の先生と手分けして見て回る。細かい理屈は棚上げ。子供たちの手が止まらないよう「かっこ良ければ何でもいい」「文章の場所は考えようよ」「これはグッドアイデア」などひたすらノセる。
イメージがつかめずじっと動かない子には「大きな写真をドカンドカンと貼ればいい」。え、それでいいのという顔でスイッチが入る。素材を置いたら「迫力がある。センスがいい」とほめる。
ここで予想外の展開が。のみ込みの早い子が完ぺきな新聞スタイルで貼り込みを終え「先生、記事も書いていいの」と聞いてきたのだ。おっ、貼るだけで良かったんだけど、こういうの大好き。「いいねえ、どんどん書いてよ」と応じた。手元をのぞくと、ヒマワリの写真のそばに「学校の花だんにヒマワリを植えました」と架空の記事を夢中で書いている。「空想新聞」が教室中に伝染していく。
気が付くと、さっきの「ドカンドカン」新聞の子までも、写真の隙間に記事を書き込んでいた。隣のクラスも同じ盛り上がりだ。もう完全に、大人の想定を超えて子供たちが走り出していた。
置いてけぼりの私と担当の先生は顔を見合わせ「先生、何だかみんなすごいことになってる」「渡辺さん、私も予想外です」。「すごいすごい」を連発し、作品を完成させる様子を見ていた。
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