“先生”体験から考える

子供たちにとって新聞は難しい?

 ありがたいことに、講座を終えた子どもたちの表情は新聞への理解が深まり、初めより幾分関心が増したように見えることが多い。後日に「新聞のことがいろいろ分かりました」「新聞に興味がわきました」などと感想が記された手紙が寄せられることもある。大いに励まされるのだが、その反応の濃度にはどこか物足りなさも感じてしまう。これまでの講座を通じた全体的な雰囲気として感じるのは、新聞へのよそよそしさというか、親近感の薄さだ。

 新聞を愛読する家族またはNIEに積極的な学校の影響か、日ごろから熱心に朝刊に目を通している子もいることはいる。主催事業である新聞スクラップコンテストの力作などからもそれはうかがえる。だが、そうした子はまだほんの一握りではないか。講座をともに担当している同僚も同じ思いだ。そうした一握りの愛読者を除く小学生の多くは、大げさに言えば自分たちにはなじみのない酒やたばこのように、新聞(特に朝刊)を大人のものと捉えているのかもしれない。そしてそれはよく考えてみれば、もっともなことだと思えなくもない。

 こども新聞もあるとはいえ、学校での新聞活用授業やわれわれの新聞講座では、テキストとしてやはり朝刊を重視しがちである。朝刊の原稿は私自身、記者として駆け出しのころから、中学生にも分かりやすく書くように教えられてきた。「小学生にも」ではない。実際に紙面を開けば、小学生には読み方も意味も分からないであろう漢字や表現が頻出している。内容も、硬派記事を中心に小学生には難解なものが多く、心底面白く読める記事はごくわずかなのが実情ではないだろうか。こども新聞を評価する大人からも「朝刊は難しい」と訴える声を聞くことがあることからすれば、小学生が親しめないのも無理はない。われわれは無意識のうちに、苦手な食べ物を強引に食べさせるかのように新聞を子どもたちに押しつけているのかもしれない。

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