“先生”体験から考える

印象に残る「報道と人権」教室

 そうした中、非常に印象に残った新聞教室があった。NIE担当になって間もないころ、ある中学校から「報道と人権」という、非常に重いテーマをもらった。当日は「報道被害」「えんざい事件」「匿名、実名報道」などについて話した。後日、私の話を聞いた生徒たちからたくさんのレポートが届き、その一つ一つをじっくり読んだ。生徒たちは私の拙い話に真剣に向き合い、考え、そして思ったこと、感じたことを素直に、ストレートにつづってくれた。

 「報道被害」「冤罪事件」など、私の話の内容がどちらかと言えばメディアが犯した負の面を強調したきらいがあったためか、生徒たちのほとんどがその報道姿勢を厳しく糾弾していた。報道被害や冤罪事件を引き起こしたのは、警察や検察、裁判所といった司法だけの責任ではなく、我々メディアの過剰な報道、犯人視報道にも責任があったことは間違いない。

 特に講義の中でも例に挙げたが、犯罪史に残る「3億円事件」はあまりにもセンセーショナルな事件だっただけに、生徒たちから「メディア側に読者に迎合した、興味本位な報道はなかったか」と問われれば、返答に窮せざるを得ない。我々メディア業界で働く者にとって、行き過ぎた犯人視報道によって何の罪もない一人の市民を死(自殺)に追いやったことは、厳しく責められても仕方がない。多くの生徒たちも、これこそが「ペンの暴力」そのものだとして鋭く非難していた。

 「匿名、実名報道」についても多くの意見が寄せられた。「原則実名」という我々報道側の基本姿勢については、多くの生徒たちが「実名報道は、当事者はともかく、家族をはじめ多くの罪のない周囲の人を傷つけるからしない方がいい」と主張した。その一方で、読者の知る権利、知りたいという欲求を無視してもいいのか……。今更ながらに「実名か、匿名か」は我々報道機関に突きつけられた非常に重く、難しいテーマだと思い知らされた。

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