阪神・淡路31年、兵庫県外でも震災授業

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オンラインで阪神・淡路大震災の話を聞く
児童たち=長野県箕輪町東箕輪(東箕輪小
学校提供)

大地震のとき、自分や家族、友達の命を守る
ため何ができるかな――。発表する児童
(東箕輪小学校提供)

 世代交代によって、大規模な自然災害でも記憶の継承が難しくなることを表す「30年限界説」という言葉がある。6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は発生から31年がたった。いまこそ多くの児童・生徒に阪神・淡路の記憶と教訓を伝え、次の地震災害に備えたい――。神戸新聞社は長年にわたって震災授業を続けてきた。兵庫県外の学校からも依頼があり、オンラインでも行っている。

 2月19日、長野県箕輪町の箕輪東小学校4、5年生46人を対象に、Zoomによる授業が行われた。神戸新聞NIE・NIB推進部の三好正文シニアアドバイザーがあの日の体験を語った。

 1995年1月17日の大地震で神戸・三宮にあった神戸新聞本社ビルは全壊した。当時社会部記者で前日から宿直勤務していた三好アドバイザーは「震度7が襲ってきた午前5時46分、偶然起きていて、2階の社会部にいた。6階の宿直室で寝ていたら屋外に放り出された可能性が高い」と振り返った。

 さらに、神戸市の復興まちづくりの取材や記事にするときに痛感した、行政と被災者の間の齟齬(そご)についても語った。

 児童に向けて「長野県も地震が多い。噴火災害もある。一つ一つの災害から教訓を学び、命を守ろう」と呼びかけた。

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 震災授業で三好アドバイザーが児童・生徒たちに訴えていることが二つある。伝えることと、忘れないことだ。

 阪神・淡路は戦後初の大都市直下型地震だったが、地震は一つではない。その後の東日本大震災、熊本地震などは様相がまったく違い、得られる教訓も異なる。

 それでも31年前の記憶と教訓を伝え、「備えにゴールはない」と訴えることは当時を知る者の責務だ。当時を知らない者こそ、震災を語り合い、さらに若い世代に引き継いでほしい。授業をそのきっかけにしてほしいと強く願う。

 教訓とはあのとき、何ができなかったか。その後、被災者支援の法整備は進んだが、迫りくる南海トラフ巨大地震への備えはできているか。

 阪神・淡路では地震後、避難生活で体調を崩すなどして亡くなった関連死が全死者数6434人中921人に上った。今から2年前・2024年の能登半島地震では、全死者数703人中435人(26年1月14日現在)に上る。避難所などの環境改善はいまなお、喫緊の課題だ。

 もう一つは、ご遺族の許しが得られるなら、犠牲者の生きた証しを残すことだ。三好アドバイザーも多くの知人を亡くした。

 「人は二度死ぬ」といわれる。一度目は身体の死、二度目の死はみんなの記憶や思い出から消えてしまったときという意味だ。三好アドバイザーが取材で出会った女性は、生まれ育った神戸に戻りたいと切望しながら、病のため他の町の仮設住宅で亡くなった。彼女もまた、震災犠牲者の一人だ。

 「大震災と避難所や仮設住宅などの生活の中で亡くなった人たちを絶対忘れない」

 兵庫県外での震災授業が続く。昨年、岡山市立福浜中学校や大阪教育大学(大阪府柏原市)では対面で行った。

 兵庫県内では2024年1月以降、三好アドバイザーが単独または神戸新聞の防災担当記者や淡路島内の支局長、当時を知る他社の記者、小学校長らと合同で行った授業だけでも30を超える。

 神戸市須磨区の白川小学校では1月27日、5年生77人が授業を受けた。同校では今年、多くの児童が、震災犠牲者を悼む「1.17のつどい」(1月17日、神戸・三宮の東遊園地)に、「絆」「一致団結」「家族を大切に」などの言葉を記した紙灯籠(どうろう)を届けた。授業で三好アドバイザーは「みんなの取り組みが震災の日のことを次の世代につないでいく」と話した。「30年限界説」など、軽々と乗り越えよう。

 今は災害と災害の間を生きている「災間」だ。32年、33年と震災授業は続く。

◆箕輪東小学校の児童の感想はこちら

三好 正文(神戸新聞NIE・NIB推進部シニアアドバイザー)(2026年3月6日)