第15回いっしょに読もう! 新聞コンクール受賞作

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沖縄県 沖縄県立名護高等学校 3年 小菅 愛さん

意見を聞いた人:母

記事見出し

相模原殺傷事件8年 共生社会 遠い道のり(日本経済新聞 2024年7月26日付朝刊)

(1) 記事を選んだ理由、記事を読んで思ったこと、考えたこと

私は相模原殺傷事件当時、9歳だった。両親がショックを受けていたことや事件の大きさから、少し事件について記憶している。この記事を見て、改めて考えてみたいと思い、この記事を選んだ。毎年7月になると、この事件についてのメディアの特集番組がある。しかしこの記事では、「ともに生きる社会の実現」がいかに困難かが書かれている。どうすれば「ともに生きられるのか」を考えたい。

(2) 家族や友だちの意見

特別支援学校に勤める母は、事件当時のショックと世の中の衝撃を語ってくれた。特に「他者が奪っていい命など一つもない」ということは何度も繰り返し言っていた。今「共生社会」が言われ、「インクルーシブ教育」が叫ばれているが、いくら法整備をしても、私たちに共に生きる覚悟がなければ意味がないと教えてくれた。

(3) 話し合った後の意見や提案・提言

この記事にあるように、社会全体では「共生社会」が掲げられている。しかし、その取り組みには多くの難題が残されている。このような事態を招いてしまった一因には、「分離教育」があると考える。なぜなら、今まで障害者たちと関わる機会が少なかった人たちが偏見を持ち、障害者たちを理解する前に拒絶してしまっているからだ。これは、加害者である植松死刑囚が述べていた優生思想に限りなく近い行為だ。このような意識を改めなければ、弱者は弱者のままでしかない。この「分離教育」による偏った意識形成への解決策として、障害の有無にかかわらず共に学ぶ、「インクルーシブ教育」に私は期待している。幼少期から、教育の一環で障害者と関わったり、目にしたりすることで、成長していく上で自然に障害者との接し方が身につく。障害者たちの存在を珍しいものにせず、この社会で生きていく中で当たり前に存在するものとするには、教育の根本から意識を改めるべきだと考える。