第15回いっしょに読もう! 新聞コンクール受賞作
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東京都 北区立東十条小学校 6年 風間 茉莉さん
意見を聞いた人:母
記事見出し
仲代達矢さんの「山の手空襲」 少女の手放って走り続けた(東京新聞 2024年5月21日付朝刊)
(1) 記事を選んだ理由、記事を読んで思ったこと、考えたこと
私はこの記事を読み「焼夷弾で体が手だけになった」というフレーズに衝撃を受け、気付けば引きこまれるように読み進めていたので、この記事を選んだ。ワクワクすることしかない憧れの街、表参道で79年前の悲惨な出来事に思いをはせて歩く人は恐らくいないだろう。私もその一員だ。例えば通学路の商店街でいつもかけ寄ってくる一年生と手をつないでいたら次の瞬間、その体が無くなっている恐怖。その時私ならどんな行動をとるだろう。
(2) 家族や友だちの意見
母が、「戦争経験者は、戦争の悲惨さや平和を後世に伝えていかなければならないと、思っているだろうけど、仲代さんはなぜ90代になってから今さら伝えてくれたのかな。また、池袋のサンシャインも、昔は巣鴨プリズンと言って戦犯を処刑した場所で、あなたが今知る東京の風景は当たり前ではないんだよ」と、言っていた。
(3) 話し合った後の意見や提案・提言
母が、巣鴨プリズンについて詳しく教えてくれた。でも私は、「戦犯」という言葉にさえ違和感を感じてしまった。夏休みのうちに戦犯について調べようと思った。また、仲代さんは、「平和のために伝えることが役目なら、やった方が良いかなと、と言っていた。戦争を知らない私たちにはありがたいお話だが、その内側に知り合いを目の前で亡くす実体験を伝えることにどんな葛藤やつらさ、苦しみがあったのだろうか、と想像してみると、胸がとても痛くなった。記事にもあるように、仲代さんが戦争を経験したのは、12才くらいである。これは、今の私と同じ学年なのだ。もし私だったら、思い出せば苦しくなって前を向いて進めなくなるくらいつらいことを、人に話せないと思う。断腸の思いで、勇気を持って伝えてくれて本当にありがとう、と私は仲代さんに言いたい。そして私も今度は戦争を知らない世代の観点からだが、平和への願いを次の世代に引き継がなければならない、と思った。