第15回いっしょに読もう! 新聞コンクール受賞作
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広島県 安田学園安田小学校 5年 村上 正真さん
意見を聞いた人:曾祖母
記事見出し
34万人の生きた証し 胸に 名簿への記帳 病室で続けた(朝日新聞 2024年8月7日付朝刊)
授賞理由
広島に原爆が投下されて79年目の今年、原爆死没者名簿に関する記事を読んで「自分の家族のことだ」と思った村上さん。毎年8月6日は平和記念公園にお参りに行き、家族から名簿に高祖父と曾祖父の名が記載されていることを聞いていた。
曾祖母は、記事に心を寄せた村上さんに謝意を示し、自身の体験を語るとともに、1985年から名簿への記帳を続ける記事中の女性をねぎらった。対話を通してこの名簿の意味を深く考えた村上さんは、名前を刻まれた一人ひとりに大切な人生があり家族がいることに気づき、被爆者の家族として教訓を次世代につないでいく使命があることに思い至った。
原爆投下という悲惨な歴史を自分事として捉え、曾祖母との対話をきっかけに、被爆者の声を未来に引き継いでいく決意を表明した点が高く評価された。
(1) 記事を選んだ理由、記事を読んで思ったこと、考えたこと
ぼくの高祖父と曾祖父は、被爆者で原爆死没者名簿に載っている。高祖父は、1945年8月6日に亡くなり、曾祖父はぼくが生まれる5年前に亡くなった。この記事を読んだとき、「自分の家族のことだ」と思った。ぼくは、この記事を読んで、原爆死没者名簿が35年間同じ方によって手書きされていることを初めて知った。きっとぼくの曾祖父の名前も、書いてくださったのだろう。それを教えてくれたこの記事に感謝し、今回選んだ。
(2) 家族や友だちの意見
曾祖母にこの記事について話すと、「選んでくれてありがとうね」とぼくに言った。そして、自分が昔見たこと、今でもわすれられないことをぼくに話してくれた。曾祖母は、「この方は、自分も苦しい思いをされとる。だけど、平和を願う心が強いから、大変なお役目も果たせるんだろうね。頭が下がるね」と言っていた。
(3) 話し合った後の意見や提案・提言
ぼくは、毎年8月6日に平和公園へお参りにいく。お参りにいくと、いつも母から「この中には、あなたのひいひいおじいちゃんと、ひいおじいちゃんの名前も入っているんだよ」と教えてもらってきた。今回この記事を読んで、この名簿の意味を考えることができた。一人一人の名前には、それぞれに人生があって、それぞれに家族がいるのだ、と気付いた。今のぼくは、被爆者である曾祖母といつでも話すことができる。だけど、あと50年経って、ぼくが60歳になったとき、周りはどうなっているだろう。悲しいけれど、きっと今の状況とは違うだろう。この記事を読んで、ぼくは、被爆者の家族として、ぼくにしかできないこともあるのではないかと思い始めた。それは、曾祖母のような被爆者の方から話を聞いて、次の世代へつないでいくことだ。そして、将来自分の子孫が、戦争のない世界を生きられるように、ぼくも今学んで、教えてあげられる人間になりたいと思う。