第11回いっしょに読もう! 新聞コンクール受賞作
- NIEトップ
- NIE月間・いっしょに読もう!新聞コンクール
- 第11回いっしょに読もう! 新聞コンクール受賞作
埼玉県毛呂山町立毛呂山中学校 2年 須藤 貴海(すどう・たかうみ)さん
意見を聞いた人:父・母
記事見出し
ALS女性 生と死の間で(東京新聞2020年8月3日付朝刊)
(1) この記事を選んだ理由と、記事を読んで思ったこと、考えたことを書いてください
この記事を読んで、生と死に関わることはとても難しいと思った。だからこそ、家族で話し合ってみたくなりこの記事を選んだ。林さんがツイッターに書き込む思いの移り変わりから、生と死の間で揺れ動き、もがきながら「死にたい」と思わざるを得ない状況に陥ってしまったことが伝わり切なくなった。逮捕された二人の医師との間にお金のやりとりはあったのに、心のやりとりが見えてこないのはとても残念だ。
(2) 家族や友だちなどにも記事を読んでもらい、その人の意見を聞きとって書いてください
父の意見は、生きるも死ぬも、その人自身の権利だ。そして日本でも安楽死を制度化することによって「いつでも覚悟を決められる」という思いから、逆に生きることを頑張れるのではないか、である。母は「まずは『死にたい』と思わせない社会づくりが大切。生きること自体に意味があるという意識が日本には足りない」と言った。
(3) 話し合った後のあなたの意見や提案・提言を書いてください
父の意見には驚いた。僕には無い発想だったからだ。確かに最期を自ら決められるようにすることで、心の余裕や安心感につながる場合もあるだろう。「死にたい」と言うほど辛い思いをしている人に「生きろ」と無責任に強いるのはおかしい。母と話して、そもそも「生きたい」と願っていた人が「死にたい」という思いに至るのはなぜか、と考えた。それは、効率性や生産性で命の価値を測る社会の風潮の影響もあると思う。他人の気持ちや苦しみを理解しきるのは不可能だ。だけど互いに認め合い寄りそうことができれば、「死にたい」を「生きたい」に変えていけるかもしれない。「死にたい」とは「この状況では生きていたくない」ということであり、本当は「生きたい」の裏返しなのだ。誰しも「生きている」ことに価値がある。僕はこれからも周りの人の命や自分自身の命を大切に見つめていく。小さなことだけれど、誰もが「生きたい」社会への第一歩だと思うからだ。