第7回いっしょに読もう! 新聞コンクール受賞作

  1. NIEトップ
  2. NIE月間・いっしょに読もう!新聞コンクール
  3. 第7回いっしょに読もう! 新聞コンクール受賞作

鹿児島県立鹿児島南高等学校 3年 田尻 みなみ(たじり・みなみ)さん

意見を聞いた人:母

記事見出し

「みとる幸せ 施設支える 逝き方の選択 住み慣れた場所で②」(南日本新聞2016年9月6日付朝刊)

(1) この記事を選んだ理由と、記事を読んで思ったこと、考えたことを書いてください

私がこの記事を選んだ理由は二つある。一つは、私の祖母が去年施設に入ったことだ。お見舞いに行くたびに見る祖母の楽しそうな顔は、私に元気を与えてくれる。もう一つは、見出しの「みとる幸せ」とは、どのような幸せなのだろうと思ったからだ。この記事を読んで、施設を本当の家のように感じて、ましてやそこで最期を迎えたいと思う人がいるのだと知り驚いた。また、家族と終末期のことについて話し、家族の望む最期にしたいと思った。

(2) 家族や友だちなどにも記事を読んでもらい、その人の意見を聞きとって書いてください

母は、施設に預けている実母の今後考えられる終末期のことが、人ごとではなく、身近な問題と実感している。現に施設から、今後ねたきりや病気になったときどうするのかというアンケートもきたが、大阪の兄にまかせたそうだ。だが、近くにいるのは私なので、現実的にすぐ動けるのは私だ。そう遠くない話なので、さらに今後を考えねばと母は思っている。

(3) 話し合った後のあなたの意見や提案・提言を書いてください

私は、自分の最期くらい自分の死にたいところで迎えたいと思う。また、それを家族に理解してもらうために、終末期の話はしっかりとしなければならない。最近では、最期を施設だけでなく、自宅で迎える人も多い。やはり、自分の大好きな場所で最期を迎えることが、その人にとっての幸せとなる。私の住んでいる鹿児島は、若者がどんどん減っていく。介護を必要としていても、してくれる人がいない。寂しい思いをしている高齢者にとって、施設はまだある人生に光をくれるものなのではないだろうか。また、介護が難しいのであれば、その環境に入れる手助けくらい、若者はしてみないか。私が思う「みとる」とは、病人の世話をするだけではないと思う。そこから得られる幸せはたくさんあるのだ。それを広げるために、人生の最後こそ自由にしてあげるべきだ。「いい人生だった」と思わせる幸せこそが、「みとる幸せ」だと思う。