“先生”体験から考える

新聞の価値を記者の言葉で ―真実より感情が優先する時代に

 小学校教員のころから、多くの新聞社の方々とかかわってきた。この人は教師に向いているなと思うこともよくあった。そんな「先生」の「出前授業」は大歓迎だ。ただし、お伝えしておきたいことがある。 冒頭から堅苦しい話になる。新聞記者は、原則「授業」をしてはいけないのだ。 なぜか。それは教員免許法上の決まり。教員免許状を持っていなければ「授業」はできない。教員免許状を持っていたとしても、指導できるのは、校種別の免許状の教科と、免許状そのものがない領域などに限定される。全ての教科・領域などを指導できる小学校教員は「小学校全科」という免許状だ。ちなみに、教員免許状がなくても授業ができるのは、大学や専門学校などである。 校長が教育委員会にあらかじめ届け出れば1単位時間の授業はできるが、この「特別非常勤講師制度」を使うのは、実際には難しい。

 しかしながら、ここ数年は全国的に出前授業の要請が増加していると聞く。学校現場を回っていても出前授業への期待を肌で感じ、素直にうれしい。 それでは、どうしたらよいか。文部科学省は「相当の教員免許状を所有する教員と常時一緒に授業に携わる場合には、教員免許状は必要ない」と答えている。つまり、できるのは「ゲストティーチャー」。現状、多くの出前授業はその役割だと思うが、前提として忘れてはいけない。 そこで、必要なのは、事前の担当教員との打ち合わせ。単元の目標や指導計画に「出前授業」がどう位置付けられ、何をねらうのかを確認する必要がある。当然、記者に「丸投げ」はNGだ。「出前」をするからには、記者ならではの専門的な知識や経験を伝えることが必須。「新聞」のよさを引き出す方法があれば、アドバイスもしてほしい。

心に残る出前授業

 出前授業の意義については、学校側と新聞社側の二つの側面から考えてみる。 学校側からの意義は「学びの深掘り」。教科書や一般的な資料では指導できない内容を、記者の生の声や表情で直接伝えることだ。もちろん一般論でなく、新聞記者という立場で語ることが大事だ。 国語や社会科、総合的な学習の時間などでの学校現場のニーズは高い。例えば、「新聞の構成」「見出しの付け方」「取材の仕方」「読者に伝わる文章の書き方」「新聞の写真の特徴」「新聞ができるまで」「取材、編集、校正などのエピソード」「記者の喜怒哀楽」「新聞での人権への配慮」「新聞の役割・使命」などのテーマについて、また最近では「新型コロナウイルス」や「SDGs」、「18歳成人」「国際関係」などを取材した記者の話を聞きたいとの声も聞く。新聞記事とともに思いを語ってもらえたら、子供の心に残る「授業」になるに違いない。同じことを先生が語っても、子供の心にはなかなか響かないのだ。 少々古い話になるが、心に残る出前授業を二つ紹介する。

 一つは「取材」の授業。日航ジャンボ機墜落事故の話だった。不眠不休の数日間にわたる気力と体力、そして締め切りまでの時間との闘いの体験談だ。凄絶な事実を淡々と語る記者の言葉は子供の心に焼き付いた。記者という仕事の厳しさや尊さ、そして、素晴らしさに、自然と子供たちの背筋が伸びた。 二つ目は「紛争・内戦」の授業。アフリカに駐在していた記者の話だった。自らシャッターを切った対人地雷で手足を奪われた子供の写真に、教室の子供たちは思わず身を乗り出す。被害者の言葉、「シーシー、ソーテ、サワサワ(私たち、みんな同じ)」(スワヒリ語)の重さが子供たちの心を揺さぶった。 この二つは、貴重な「学びの深掘り」となった。

ウィズコロナの出前授業のカタチ

 出前授業のもう一つの意義は、新聞社側からの「新聞の価値の発信」である。 先日、数人の大学生と話をする機会を得た。彼らがほぼ共通して語ったのは、新聞は「ためになる」のは知っているが、「お金がかかる」「読むのに時間がかかる」。改めて、新聞は毎日読めば料金以上のメリットがあると、学生自らが気付くきっかけ作りが必要だと痛感した。「就活」目的だけでは一過性の購読で終わってしまう。 そこで、小中高校への出前授業が重要な役割を担う。先述した個々のテーマと絡めて、新聞のメディアとしての価値や新聞の使命についても語り、学び続けるため、生きるために「新聞」が必要だと伝えてほしい。そして、新聞は毎日読むから役に立つのだと気付かせたい。できれば当日の新聞に触れる機会もつくりたい。「1単位時間の授業はNG」と言っておきながら、つい欲張ってしまった。販売促進が目的ではない。しかし、私の経験では、出前授業後、子供たちが帰宅して、保護者に新聞の面白さや重要性を語って、購読を始めた家庭も複数ある。

 コロナ下では、思うように出前授業はできない。この機会に要望の多いテーマで10分程度の「オンデマンド出前授業」を配信するのも一つの方法だ。リアルの出前授業に勝るわけではないが、より多くの学校が手軽に利用しやすくなることは間違いない。「子供1人1台PC」の教育の流れに乗ることもできる。近い将来、各社のオンデマンド出前授業を共有し、子供自らテーマを選んで、調べ学習に生かすことも夢ではないだろう。 SNSの情報が、新聞より信頼される日がすぐそこに迫っている。ポストトゥルース時代の真実より感情が優先する社会に「出前授業」は一石を投じるはずだ。子供にとって、教育にとって、ひいては民主主義にとって「出前授業」はなくてはならないものなのだ。

筆者・プロフィール

関口 修司(せきぐち・しゅうじ)
日本新聞協会 NIEコーディネーター

「新聞研究」2021年3月号掲載
※肩書は執筆当時