“先生”体験から考える

新聞は気付かせてくれる ―しなやかな多様性を子どもたちに

 私事から書き始めることをお許しいただきたい。私には重度な知的障害を持つ自閉症の息子がいる。今年で20歳になる息子は、今でこそ毎日、落ち着いて作業所に通っているものの、幼い頃は何度もパニックを起こしたり、自傷行為を繰り返したりして、少しも目が離せない毎日が続いていた。仕事を言い訳にするつもりはないが、当時、子育ての大半は妻に任せっ放しで、夜遅く帰宅する私の役目は専ら、寝付けない息子と妻を後部座席に乗せて、深夜の街をただひたすらドライブすることだけだった。

出前授業の原点

 特別支援学校(当時は養護学校)の小学部に通い始めてからも、片道1時間の送り迎えは妻が行っていた。ある日、たまたま平日に休みが取れた私は、日頃の罪滅ぼしとばかりに、妻に代わって当時1年生の息子を学校まで送っていくことにした。せっかく休みが取れたことだし、どうせまた迎えに戻ってこないといけないのであれば、このまま下校の時間まで学校に残って、息子の(ついでにほかの子どもたちの)様子をじっくり観察してやろうと、参観日でもないのにずうずうしく校長先生に申し入れると、意外にあっさりと承諾された。

 「お父さんにこそ、ぜひ普段の様子を見てもらいたいと思っていたんです。ちょうど今日は、隣の(健常児らが通う)小学校の5年生たちとの交流会があるので、タイミングもよかったですね」と、担任の先生もうれしそうに話しかけてきた。当時は、障害児と健常児が共に学ぶ「インクルーシブ教育」などという言葉があることも知らず、ただ「いっしょに遊ぼう!」と無邪気に息子に駆け寄ってくる小学生のお兄さん、お姉さんたちをほほ笑ましく見つめていた。が、自閉症児にとっては「いっしょに遊ぶ」こと自体が難しく、人とコミュニケーションを取ることが苦手な息子は、たちまちプチパニック状態に。上級生たちもどうしていいか分からず、そのうち息子から離れ、自分たちだけで遊び始めた。息子は息子で、一人にされたことで落ち着きを取り戻し、自分だけの遊びに没頭し始めた。

 一連のやり取りを見ていた私が先生に「いつもこんな感じなのですか?」と尋ねると、「小学生に障害の特性をどう伝えればいいか、いつも悩んでいます」と、正直に語ってくれた。その時思わず私は、「ぜひ今度、小学生たちに話をさせてもらえないでしょうか」と、目の前の先生に訴えていた。こうして、何の準備もないまま、私は人生初めての「小学生向けの講話」をすることになった。

 「言葉が通じない外国で一人っきりになったら不安だよね」「視力が弱い人でも眼鏡をかけると困らなくなるよね」など、冷や汗ものの拙い話であったが、振り返れば、あの日の講話が、今の私の「出前授業の原点」になっていることは間違いない。見た目では分からない悩みや困難を抱えて生きている人がいること、人と関わることが苦手でも決して悪意があるわけではないこと、そして、そういう人を愛しく思う家族がいることなど、多くの人たちにとっては普段の暮らしの中でなかなか気付くことのない部分に「新聞は気付かせてくれる」ことがある。そんな思いを込めて、今も子どもたちと向き合っている。

相手の立場を理解する力の養成

 ただし、小難しく理屈っぽい授業にはならないように心掛けている。重宝しているのが、2013年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」最優秀賞の「めでたし、めでたし?」。「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」という衝撃的なコピーと悲しげに涙を流す子鬼のイラスト。意外にも子どもたちはすぐ食い付いてくる。サブコピーには「広げよう、あなたがみている世界。」とあるが、私が口を挟まなくとも、子どもたちは驚くほどこの物語を「多面的」に「創造」してみせる。こうして、教室の空気をしっかり和らげてから、健常者や障害者、高齢者などでひしめいた3年前の熊本地震での避難所の様子を伝える記事につなぐのが、最近の私の授業の定番のパターンとなっている。

 緊張をときほぐす時のもう一つの定番が、子育て中に教わった「心の理論」。子どもがボールをカゴに入れてその場から離れた間に、別の子どもがカゴからボールを取り出して違う箱に移す。戻ってきた子どもはカゴと箱のどちらからボールを取り出そうとするか、という問題。「戻ってきた子どもはボールが移されたことを知らないから、カゴの方」と気付くには、移したことを「知っている私」が「知らない子ども」の身になって考えられるかがポイントで、相手の立場に立ち、その人の考えや感情を理解することを分かりやすく伝えるのに役立てている。

 一方で、横浜のニュースパーク内の体験型展示「横浜タイムトラベル」を試した時にはこんなことがあった。この展示で使用するタブレット端末には、ペリー来航など昔の横浜の出来事を語るキャラクターが大勢登場。ゲーム感覚で彼らに取材をし、最終的に3人だけを選んで記事がまとめられる。テーマとキャラクターを掛け合わせると174パターンにもなり、漁村の子どもと黒船の船員とのやり取りを紹介するユニークな新聞が出来上がることもあるが、職員に聞くと、「最近の子どもたちは、正解はどの新聞ですか、と尋ねてくるんですよ」。

 世界の至る所で「自国ファースト」や「分断」が表面化しつつある今、次の時代の「主役」となる子どもたちには、しなやかな「多様性」が求められるはずだ。新聞を親しむことで「我」と「彼」のどちらにも、心を寄せ合えることのできる力を子どもたちに養ってほしい。NIEには、まだまだやらなくてはならない使命がある、と感じている。

筆者・プロフィール

松村 和彦(まつむら・かずひこ)
熊本日日新聞社 編集局読者・NIEセンターNIE担当部長 

「新聞研究」2019年7月号掲載
※肩書は執筆当時