第13回NIE全国大会(高知)
第13回NIE全国大会記念講演「生きる力を新聞で」山本一力氏
小学校6年生のころまだ戦争のつめ跡が残されていた時代に、担任の横田先生にいろいろなことを教わった。その根っこには、いつも新聞があった。先生は、戦後の日本が世界のなかでどのような状況に置かれているかを、新聞を片手に熱心に話してくれた。子どもには理解できないような世界の出来事もあったが、先生は当時の日本の状況を嘆いていらっしゃった。「メイド・イン・ジャパン」が粗悪品の代名詞だった当時、「われわれがバカな戦争をしたせいで、日本は三流国だと言われている。今はこんなだが、大人になったら日本をもっといい国にしろ。そのために勉強するのだ」と説いてくれた。
中学校3年生で高知から東京に引っ越し、高校卒業までの4年間、新聞配達をして新聞から多くのことを学んだ。ワシントンハウスという米軍宿舎には英字新聞を配っていたのだが、日本語の新聞と英字紙では見出しも全く違い、新聞によって中身がまったく異なることを知った。ケネディー米大統領が暗殺された時、販売店は大騒ぎになって子どもながらに「大変な事件が起こった」と感じながら号外を配りに行ったことを鮮明に記憶している。あの時代の私にとって政治はとても身近だったが、そう感じたのは新聞がそばにあったからだと思う。
新聞代はたしか朝夕刊セットで390円だった。当時の物価からすると高かったが、みんな新聞を読んでいた。お金があろうがなかろうが生きていく糧のひとつとして、米を買うのと同じ価値を新聞に見出していた。新聞なしで1日が終わることが考えられない時代だった。
インターネットの登場で、無料で手軽にニュースが読めるようになり、新聞代を払ってまで新聞を購読する必要はないという人がいる。しかし、インターネット上のニュースは単なる情報にすぎない。新聞の一面に大きな見出しが躍れば、重大な事件が起きていることが伝わってくる。そうした「鼓動」はインターネットからは伝わってこないが、新聞には活字がもつ鼓動がある。新聞記事の内容が理解できない子どもたちでも体で感じとることができる。私は横田先生や新聞配達の経験から、そうした新聞の持っているよさを教わったのだと思う。
新聞のある暮らしを、ここで今一度考えたい。文化を守り、受け継いでいくために、特別なことではなく、新聞が生活のなかに当たり前のこととしてあることが大切だ。新聞界と教育界が両輪となって、次代を担う若者に新聞のよさを伝えていってほしい。(2008.7.31収録)