“先生”体験から考える

柔らかな感受性に触れる ―教室も新聞人の大切な「現場」

生徒の声に背中を押される

 遠い国の「戦争」を「自分たちの事」と受け止める柔らかな感受性に触れる体験は出前授業をする新聞記者にとって、報道の意義や使命をあらためて自覚できる貴重な機会だ。授業から数日たち、ごっそりと感想文の束が届くこともあり、そこには以下のような言葉がつづられていた。

 「ぼくは、学校を休まず、しっかり学びたいと思いました」「私達はどれほど幸せなんだろうと思いました。それを知って、食べ物は残さず食べる、ムダをできるだけ減らさないといけないとあらためて思いました」

 授業では悲劇だけではなく、苦境にあっても力強く生きる姿を伝えているので、ある中学1年生はこんな感想を寄せてくれた。

 「私は新聞の記事には興味ありませんでした。なぜなら記事を読んでも楽しくないし、新聞ならテレビ番組のところさえ見ていればいいじゃんと思っていました。でも、記者の方たちはスクープをとるために、わざわざその国へ行ってその現場に行き、自分の目で見て写真をとり、インタビューをするなんて、とても勇気のある人たちだと思いました。これからは届いた新聞を家族より先に起きてじっくり、ゆっくり記事を見てみたいと思い、なんだか明日がとても楽しみになってきました」

 取材者自身が教壇に立つことで、記事にリアリティーを感じてもらえたのだろう。背中を押されると同時に、いかに責任ある仕事であるか、身の引き締まる思いがした。

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