第15回NIE全国大会(熊本)

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第15回NIE全国大会記念講演 「笑いのある人生」桂歌丸氏

 私が落語の世界に入ったのは1951(昭和26)年11月で、中学3年生の頃だった。落語家を志したのは小学4年生の頃で、当時は中学校卒業後に落語家になると決めていた。しかし、落語家を生涯歩む道と決めた以上、1日でも早く実現させたかったので、中学在学中に入門した。

 学歴が重視されている世の中だが、人間の真の本質は学歴ではなく能力だと思っている。親は、子どもの能力を見いだし、そこに導く責任があるが、最近は子どもの能力を見いだせない親が増えた。子どもに対し、「勉強しろ」「塾に行け」と言う親が多いが、子どもが母親に勉強の質問をすると「お父さんに聞きなさい」と答え、父親に質問すると「何のために学校に行っているんだ?」と怒る。それならば、子どもに「勉強しろ」「塾に行け」などと言う権利はない。

 私の子どもは学生時代、成績が悪かったが、私から子どもに対し「頭が悪い」などと言ったことはない。ただ、子どもが小・中・高校の時、学校に行って「よその子どもは知らないが、もしうちの子どもが先生の言うことを聞かなかったり、人の道にはずれることをしたりしたら殴ってもいいし、廊下に立たせても構わない。親が責任持ってやるべきことはきちんとやる」と担任の先生には伝えた。

 家庭教育がゼロというこの時代、「おはよう」のあいさつもできない、「ありがとう」のお礼も言えない、「ごめんなさい」と謝れない子どももいるようだ。そのようなことは学校で教えることではなく、親が教えなければならないことだ。家庭で教育すべきことは数多くあるが、最低限、(1)はし、鉛筆の持ち方(2)日本語の土台である「いろはにほへと」(3)正しい日本語――の3点は教えなければならない。

 落語家になってからは、師匠や先輩からいろいろと教わった。私が落語家になった時に大師匠(師匠の師匠)から「若いうちは苦労しなさい。若いうちの苦労は買えない。苦労の壁は自分の努力一つで越えられる。何年かして振り返ったとき、苦労が笑い話になるように努力しなさい」と言われた。私の育ての親は祖母だったのだが、落語家1年目の時に他界した。兄弟・親戚がいなかったため16歳で「ひとり」になってしまった。祖母が亡くなって悔しかったし、悲しかったが、落語家を辞めようとは思わなかった。苦しかったのは結婚してからも変わらなかった。寄席が夜にしか行われなかったので、妻と二人で昼間、内職をしたこともあった。多少の波はあったが、結婚して54年、変わらずに生活している。しかし今は、恋愛してからすぐに結婚、そして離婚してしまう。また、自分が産んだ子どもを虐待したり、殺してしまうこともある。辛抱、話し合いの精神が欠けているのではないか。パートナーと相談し合うことが大事だ。

 落語家は笑ってもらうことが商売だが、苦労が落語にしみこめば、客に笑われなくなる。「苦労したことが笑い話になるよう努力しなさい」と大師匠に言われたが、少しずつだが笑い話になってきた。ギスギスした世の中、笑いが大事だ。陽気に過ごしていただきたい。